第100号 2014年9月28日

100号おめでとう!

平良 常

 ひきこもりがちの私たちにとって伴ネットは友達と楽しい話をしながら活動できる場所です。仲間と西表島の温泉など普段絶対に行けない場所にも行くことができます。70歳で始めた活動ですが今年78歳になりました。私のかけがえのない経験が全て記録されてる広報誌も100号になりましたね。おめでとうございます。これからも会員が増え、いくすえ永く会が栄えていくことを願っています。

 十五夜に家の月下美人の花が3つ同時に咲きました。初めてのことです。その晩、咲いてることを手で感じながら伴ネットのみなさんにささえられて生きている幸せを感じました。



本部だより(60)

100号発行ほろ酔い日記

(1号~21号担当)会長・びーちゃー1号 大見謝辰男 

 伴ネットやいま広報100号記念発行、とてもおめでとうございます。やはりここでは、伴ネットやいまスタートの歴史を紹介したいと思います。

伴ネット本部を那覇市に置く沖縄伴走ランナーネットワーク(伴ネット)は、1999年に設立されました。その後、会員拡大に成功しつつも、その活動を那覇市以外に展開することができませんでした。

2006年に私は転勤で石垣島へ単身赴任しました。石垣市社協のご協力で、その年のうちに伴走・伴歩講習会を開催し、翌年早々に沖縄伴走ランナーネットワーク支部の「伴ネットやいま」を立ち上げました。

また、伴ネット本部のHPで「八重山ほろ酔い日記」を連載し、八重山での伴走情報や私のランニング活動を発信しました。

広報「伴ネットやいま」第1号は、八重山地区で初めての伴走講習会開催中の2006年12月13日に発行されています。その時の広報見出しは「八重山支部便りを発行」「日本最南端での伴走講習」「石垣島マラソン情報」「伴ネット八重山支部会員募集」でした。

3年後、私が石垣島を去ってからも、八重山支部の活動は盤石に継続されており、本部・支部の交流も活発で、まさにきょうだいのようなおつきあいを継続しています。

私ごとになりますが、石垣島に転勤するまでは、私はどんなに酒を飲んでも気を強く持ち、完璧なほど酔わない自信がありました。石垣島での生活では、やいまの皆さんにすっかり気を許して、「びーちゃー1号」のあだ名をいただくほど、酔っ払いになってしまいました。実は、このびーちゃーグセ、現在の職場の若い相棒にも、やいま仲間同様にご迷惑をかけています。



(22号~28号担当)明 静子 

そうですか、広報も100号になったのですね。とても感慨深いものがあります。

立ち上げ当時を振り返ると、そのきっかけは、現在沖縄伴ネット会長の大見謝さんの八重山への赴任でした。石垣市社会福祉協議会に相談にいらして最初の養成講座が行われたのです。その養成講座では「共にスポーツを楽しむ」という考えがあったように思います。やいまの地にひとつの種がまかれた時でした。講座を修了した仲間が伴ネットやいまの始まりです。今ではいつでも伴ネットやいまの花が咲きほこっています。現在私自身は、活動に参加できていませんが、皆さんの走る姿を見かける度に、立ち上げ当初関わった者としてとても嬉しく感じます。そして頼もしく感じます。この100号の歩みは皆さま一人ひとりにとっても力となっている事でしょう。



(29号~35号担当)増川育代

 100号おめでとう!私は半年間の代行でしたが、慣れない紙面作りにとても戸惑いました。たった6回の広報作りでしたが、とても大変でストレスもたまりお世辞にも楽しいとは思えませんでした。 1から10までおおみじゃ会長の指導を受け、何とか乗り切ったと記憶しています。でも、振り返ってみれば、この100号の広報にちょっとだけ貢献できているのがうれしいです。会の成長記録でもある広報「伴ネットやいま」は、離島からの情報発信手段として、会員だけではなく、島外の伴走仲間ともつながっていける素敵なアイテムです。これからの伴ネットやいまの活躍も、どんどん発信していきましょうね。圷さん、これからもよろしくお願いします!代々の担当者に心から感謝申し上げます。



(36号~48号)干川 明

 創立以来の会報百号になるんですね。とても楽しく編集を担当させていただきました。会員の方々の相互理解を深めるためと思い、シリーズで古い会員から懐かしいお話しを聞き書かせてもらう企画をたてました。大昔の石垣の街の様子、離島の暮らしぶり、青春時代の冒険談など、何時間もかけて先輩方の人生の一部にふれさせていただき、とてもいい経験をしました。中にはオフレコの話もあり、2人だけの秘密です。また、毎号会員の皆さんに原稿をお願いして、快く引き受けていただいたことも良い思い出です。会報を直接渡せなかった会員の方々に郵送料節約してバイクでポストに配達したこともありました。痛い経験としては、お願いした原稿の中の引用文を勝手に書き換えたとして真剣に叱られたこともあります。字数の関係で勝手に短くしたのですが、公表物に関する著作権など、原稿の取り扱い方について、とても教えられた良い経験になりました。慣れないうちは会報の制限枠内に文章をうまく入れ込むことが難しく、発行までの時間切れで自分一人ではまとめきれず、最後の仕上げを事務局に御願いしたことも何回かありました。そんな時にも、すぐ対応していただき、無事発行にこぎつけることができ、感謝しています。



(49号~60号担当)後藤一弥

僕とカミさん・美奈が二人三脚で編集を担当したのは2010年5月から2011年5月まで、一年間、12号でした。と聞くと、正直「えっ!!!」と思いました。なんでって、自分の中では2、3年、50部くらいはやったような感じが残っていたからです。それだけ、集中して(熱中して)やりました。伴ネットやいまの練習も行事も、できるだけ参加して取材して、多くの情報を会員に届けたいと思ってやったので、毎号字数との戦いでした。記憶に残っているのは広報の仕事も伴ネットの活動も「楽しかった」ということです。現在は捨てられたわんにゃんの保護活動をしながら走る生活をしています。     

(同号担当)後藤美奈

 私も同感で、取材と称しできるだけ練習会やイベントに参加して、楽しみながら自然に走力をつけ、伴走技術を学ぶことができました。



(61号~71号担当)玉盛敬子

こんちは!ケイコです。皆さんお元気ですか?私は、毎日実家でのんびりしています。お腹の赤ちゃんも大きくなり、9月10日の検診で、1800gになっていました。毎日、お腹の中で元気に運動しています♪私より運動しているかもしれません。予定日まであと2ヶ月!不安もありますが、早くご対面したいですね。

広報担当していた頃、練習会で花を見つけては、練習後に写真を撮りに出掛けたり、花の名前や花言葉を探していたのを思い出します。この記事があることで、普段気にしない周りの風景も見るようになり、今までの視野がちょっと変わりました。また、花の場所や形を記事にする時の表現には悩みました。ですが、記事を書くといった機会がなかなか無かったので、いい経験をさせて頂きました。ありがとうございました。



(61号~100号担当)圷 寿男

 記事ネタ少ない時の広報編集ほど苦痛なものはありませんが、ネタが豊富な時はアッという間に仕上がるので楽しいです。たくさん活動に参加してたくさん原稿を書きましょう。(笑)ホームページ「伴ネットやいま」共々、これからも広報活動にご協力よろしくお願いします。