石垣島マラソン2015 覚書き

圷 寿男


これはレースを振り返って、反省として覚書きします。

ロープランナーと上手くコミュニケーションがとれないながらも制限時間内でゴールできた記録です。



《スタート前》

1月25日(日)、石垣島マラソンで23キロコースを伴走者として走りました。京都から参加されたS子さんは弱視ろうの方。いつものボクは声を出して視覚障がい者をガイドしますが、今回はそれができません。数ヶ月前から始めた手話の勉強も未熟で京都から介助で来られた手話通訳のK林さんに通訳してもらい、大会前日打ち合わせを入念にしたつもりでした。でも結果はなかなか上手くできませんでした。

レース当日はスタート5分前までK林さんに通訳してもらいましたが、その後は二人でスタート地点に待機。他の伴走チームも含めまわりのランナーたちはおしゃべりしてテンションが上がってるようでした。男のくせにおしゃべりなボクがこの時間帯からしゃべってないなどありえないこと。でも手話で言いたいことも伝えられないし、最大の強みが封印され力が奪われていくようでした。でもスタート前の5分間は長くは感じず、スタート時間はあっという間にやってきました。


《スタート》

ランナーみんなでカウントダウン。「3・2・1・スタート~!」列の中盤以降に並んでいたので、スタートしてもすぐには走れません。ロープを短く持って歩き始めます。ゲートを出て走り始めるものの、混雑しててまた歩き。シード線に出たら少しづつスピードを上げながら走れるようになりました。

いつものことですがボクはまわりにランナーが多いとモンガラになります。モンガラは魚の名前ですが自分のテリトリーに敏感な魚でその内側に入るモノを警戒して物凄い形相でにらみ、入ると攻撃します。コース取りで避けれるモノは事前に回避しますが、これはレースなので想定してないことも起こります。ボクのテリトリーに入りそうな奴がいたら、「入るなよ!」の意味を込めてギッとにらんだり何度もそっちを見て警戒します。

1週間前にコース変更になった箇所を通過し、やいま大通りを走る頃にはランナーの走る間隔もあいて警戒度をワンランク下げることができました。あー、でもその直後にあった最初の給水所はランナーがごった返してひどかった。ドリンクを置くテーブルが狭いから後から後から来るランナーの数に給水が追いついてなかった。暑かったから事前の打ち合わせで全てのエイドで給水することを決めていたので、端に手持ち無沙汰で立っていた係りの中学生に懇願し一杯もらいました。S子さんは人差し指を立ててもう一杯欲しいとのこと。そう言って彼にもう一杯もらいました。こちらが二人で走っていたので彼は優先してくれたのかもしれません。礼を言いエイドを出発しました。新栄町あたりは快調に走れたので、やっと23キロの旅に出発できた感じがしました。知り合いの応援もこちらに届きパワーを受け取りました。


《前半》

なたつ橋を左折すると長い長い上り坂が続きます。途中、長い上り坂と暑さのせいかS子さんは歩いてしまします。でも呼吸を整えてすぐ走り出す。「かなり暑いんだなぁ。」と思った瞬間気がつきました。スタート前に確認しなければならなかった服装。長袖Tシャツに半袖Tシャツを重ね、しかも「盲ろう」と書いたビブスを着けていたので三枚着てることになります。これでは暑い。もう少し入念に作戦を立ててアドバイスできなかったことを悔やみます。この後、この上り坂と名蔵に通じる長い一本道で何回か歩くことになります。


《最終兵器》

23キロは普段なら彼女にとって長い距離ではなかったと思います。打ち合わせでは「時間も距離も伝えなくていい」とのことでした。でも何か不測の事態に備えて対処法を決めておこうとK林さんが申し出てくれたので、「事故」など万が一のことがあったらお互いの手のひらに文字を書いて伝えようということになりました。

この方法が早くも前半からいきてきます。時間も予定より遅くなってたので要所要所で距離と時刻を聞いてきます。手のひらに書いて伝える。それを確認するとすぐ計算してるのでしょう。彼女は歩いていてもすぐに走り出します。最終兵器だったはずなのに、もう使ってしまった。


《第一関門》

今回23キロコースの第一関門は「16キロ地点、制限時間2時間30分」でした。これを過ぎるとその先は走れない。

制限時間が迫ってきてる上にこの手前がこのコース最大の急勾配の上り坂です。上りは疲れて走れないので、時計を気にしながら歩きます。まわりのランナーも全員歩いてます。遠くにタイムを示す時計が見えました。どうにか間に合いそう。時計のところにいる大会係員が声をかけてます。「まだ間に合うよ!」第一関門、5分前に通過!

あとは7キロ先のゴールを目指すだけ。時間はあと55分ある。二人でプチ万歳して喜んでまた前に進みました。


《下りは快走。上りは歩き。》

第一関門を過ぎてからはおおざっぱに言うと下り坂が2箇所、上り坂が1箇所あります。S子さん、下りは快調に走ります。一緒に走ってるボクも気持ちよく走れました。

でも上り坂では足が止まってしまう。レース後半だし、島の東側に移動してきて気持ちよい風が吹いているというものの気温は依然高い。

辛い表情をしてます。「Sちゃん、がんばれ!」彼女の耳に届かないとわかっていましたが、何度も声を出して応援しました。

残り距離3キロ弱で残り時間20分。ここでも足が止まって歩いてしまった。ここで歩き続けたら制限時間でゴールできない。彼女の手を掴んで強引に「走ろう!」という手話をしました。一瞬嫌がる顔をしましたが、すぐに走り出してくれた。ここからは下り坂。安全なコース取りをして転ばないように注意して走るだけです。


《あと56秒》

この一番辛い場面でサポートしてくれたのは伴ネットやいまのメンバーでした。まず「私設移動エイド」。メンバーの顔を見るだけで心が強くなれるし、「スポーツドリンクがほしい!」という要求にも素早く確実に応えてくれました。そしてY子さんの声掛けと応援。元気がでました。そしてそして、前を見るとT子さんが走ってるのが見えます。追い抜く時に「T子さん、まだ間に合うからついてきて!」と声をかけました。声をかけたのはボクなのに、この言葉で自分にスイッチが入りました。

あとはこのスピードを維持して丁寧に走るだけだ。

運動公園に戻るとK林さんが見えました。あと少し。陸上競技場のトラックに入ると伴ネット本部の伴走チームも見えます。あと200メートル。伴ネットのテントの前を通過したらゴールが見えてきた。手前でS子さんの手をつかんでゴールの瞬間腕を上げます。これはあらかじめ決めておいたゴールの合図。

ゴールをした瞬間にボクの緊張の糸は切れて、ただただS子さんに「着いた、着いた、おつかれさまー!」と言ってました。

タイムは3時間19分04秒。制限時間まであと56秒でした。

S子さんはK林さんに会うとものすごい勢いで手話してます。どうやら制限時間内にゴールできたとわかって喜んでいるみたい。良かった。

伴走終了!終わり良ければ全て良し。けどもっと手話を練習して盲ろうの方の伴走もスムーズにできる伴走者になりたいと思います。